Day8 インド入国
インドに入国するにはビザの申請が必要だ。アライバルビザというビザを申請すれば着いてからでもインドに入国できる。帰りの飛行機番号を書く欄があったが、無記入で提出した。普通に入国できた。拍子抜けなほど何もなかった。
インド時間は深夜2時。タクシーから見たコルカタの風景は異質な風景だった。シャワーも浴びずゲストハウスで眠りについた。
朝起きて屋台で子供がカレーっぽいおやつを食べているので僕も食べてみるとめっちゃ美味かった。20円くらいだった。
ゲストハウスの朝ご飯
停まってくれないので走りながら乗り込む満員バス
今日は一年に一度しかないイスラム教の犠牲祭。牛を大切にするヒンドゥー教が多くを占めるインドだが、東の大都市コルカタはイスラム教が多く、ヒンドゥー教徒もリベラルだ。もちろんヒンドゥー教徒は嫌っているのだが、イスラム教の犠牲祭では牛を殺す。路地裏には牛の内臓が立ち並び、野良犬が内臓を食べている。死を待つ牛たちを街のいたるところで見ることができた。路地裏に目を向けると、目の前で牛の足がしばられ、逃げようともがく牛に首からナイフが突き刺される。開かれた首の断面はしばらくのうち神経が鼓動する。ああ、これがインドか。写真を撮ろうとすると怒られるため、見るだけにしておいた。意外にも一人で見つめる僕をイスラム教徒達は歓迎してくれた。むしろ俺らの文化を見てくれというレベルだった。
ゲストハウスで会った社会人25歳の女性とお昼ご飯に有名なカレー屋さんに行くことにした。日本人達の間で有名な失神するほど美味いカレーらしい。インド系の会社で働く彼女は学生時代インドで1年間を過ごし、かなりヒンディー語が堪能だった。面白い話もたくさん聞けたし、カレー美味かったし、満足だった。やっぱり海外で会う日本人は面白い。今回の旅は社会人と関わる機会が多いため、本当に勉強になる。チーズと豆腐の中間みたいなやつが入ったカレーがめっちゃ美味かったけど、カレーの写真は撮り忘れた。
しかしながら、これで疲れてしまいずっと宿で寝ていた。インドの街は整備されていないし、交通ルールもクソッタレもないので疲れる。宿に帰ればたくさんの日本人がいるのでお喋りしていた。オーナーの仁科さんにアジア最大の風俗ソナガチについての情報やブータンへの密入国等色々聞いた。日本人宿にある情報ノートもブログに書けるようなレベルを超えた面白い内容がたくさん書いてあり、楽しんだ。
そうするうちに時間が経ったので夜ご飯に行った。麺を頼んだつもりだったのに米がでてきた。よくわからん。
宿に帰ってクリスチャンの韓国人とタバコをふかしながら語り合った。彼は半年程ゲストハウスに滞在し、マザーハウス(マザーテレサの家というボランティア施設)でボランティアをするらしい。韓国と日本の関係について、つたない英語で語り合った。彼は少し日本語もできたので話しやすかった。今は大学院生で12月まで滞在すると教えてくれた。すごいわ。
シャワーを浴びてゲストハウスのリビング的なところでスタッフと話していると、若い日本人の女性がやってきて仲良くなった。明日は僕らも7時に起きてマザーハウスでボランティアをしてみようと約束した。お互いボランティアに興味がない人間なので不安だったが、まぁ一人よりもマシだなってことでお互いを励ましあった。
Day7 災難続き
久しぶりに会う友達と会った。彼女もまたバンコクで会った友達の1人だ。懐かしい話に花を咲かせた。衝撃的な話も聞けたので面白かった。彼女は今年だけでバンコクにくるのが4回目らしい。合計8回くらいだろうか。タイに見せられた女だ。
インドコルカタ行きの飛行機は0時出発だったので暇つぶしをしないといけない。
バンコク都立図書館はカオサンロードのすぐ近くで、パスポートを見せるだけでWi-Fiが使えて涼しい。
とはいえそこまで暇つぶしにもならない。しょうがないので早めに空港に行って寝ようかと考えた。ゲストハウスに戻ると今からドンムアン空港に行こうとしているポーランド人がいたので一緒に行っていいか聞くと歓迎してくれた。
ポーランド人のエリックと空港行きのバスに乗ろうとする。カオサンロード付近からドンムアン空港を繋ぐバスはA4か59のバスだ。しばらく待つとA4がやってきたが、華麗にスルーされた。59にも華麗にスルーされた。もっと早く合図しないといけないらしい。作戦変更でタクシーに乗り、2人で割り勘することにした。タクシーの中で色々な話を聞いた。24歳大学院生の彼はポーランドのグダンスクという場所に住んでいて、グダンスクは第二次世界大戦の火花が着いた場所らしい。彼女がいるというので見せてもらうと、予想通りめっちゃ美人だった。ジャパンクオリティの0.01の例のやつを進呈しておいた。きっと彼はポーランドに帰ってから日本の技術力の高さを身をもって痛感するだろう。ポーランドの硬貨もくれた。僕も五十円玉と折り鶴を渡しておいた。
しかし僕は忘れていた。洗濯物をランドリーに預けていたことを。最悪だ。また戻らないといけない。この旅1番の失態だった。すぐにドンムアン空港からA4のバスに乗り込み、カオサンロードに帰る。もう疲れていた。洗濯物を受け取り、ゲストハウスに一旦戻るとオーナーやオーストラリア人達が同情してくれた。少し仮眠をとってまたA4のバスでドンムアン空港に戻った。
これだけで終わらないのが今日という日だドンムアン空港でチェックインしようとするとインドから出るチケットがないとインド入国させられないよみたいなことを言われた。ガイドライン的なやつを見ると確かに記載してあった。僕はインドからネパール に知り合いの車で入国する予定のため、チケットもくそもない。冷や汗がやばい。
一旦立て直し、きちんと調べると、インドはそこらへん緩いらしく多分なんとかなるらしい。もう一度エアアジアのカウンターに行くと何も言われなかったのでそのまま出国ゲートに行った。エアアジアのお姉さんが帰りのチケットあるか聞いてきたので、勿論予約済みだよ!と嘘をついた。飛行機へのシャトルバスはコルカタ行きだからか、今までのような楽しい観光染みた旅行客はいない。顔が引き締まっているように見えた。0時5分定刻通り出発した。僕は本当にインドに入国できるのか。
Day6 シェムリアップを離れる
シェムリアップでの落ち着いた生活も今日で終わり。この街は良い出会いが多かった。彼女ともしばらくお別れだ。シェムリアップを離れる寂しさとまた彼女と離れてしまう寂しさが入り乱れた。空港に向け出発したのに関わらず、宿にサンダルを忘れ、一旦帰るという失態を犯してしまった。最後まで僕らしいが、謝罪する。ごめんなさい。
シェムリアップ空港にて
いやこの写真だと寂しさが入り乱れてるとは言えず、偏ってるような気もするが、まぁ良いであろう。掲載の許可を彼女にとってないので、ストップがかかったら肖像権の都合上削除させていただく。彼女はあと10日間シェムリアップの街で活動するらしい。頑張れよと素直に思う。
そしてしばらくぶりに帰ってきたバンコクのカオサンロード。
ドンムアン空港からカオサンロード行きのバスに乗ろうとしたらバスを間違えた。1時間ほど頑張って歩いたが、諦めてタクシーを使った。僕らしい。1人だから誰にも迷惑かけてないしok。
カオサンロードのこの時期はまだ日本人がそれほど多くない。もう少しするとさらに日本人達が増えていくだろう。
懐かしさを感じながら道を歩く。思い出がフラッシュバックする。
1年前、お金がなくなってしまった僕と彼女が日本にいる親から送金してもらい歓喜したウエスタンユニオン。そういえばあの時コップンカーと大きな声で叫んだ。
「今後の人生で絶対浮気しません。」と酔いながら謎の仏像に誓わされたお店。その時「言いましたね!」と叫んだ女が今の彼女。
みんなで集まった思い出のニュージョーはなくなってしまった。フィリピン人の兄ちゃんももういない。歩くだけで思い出がフラッシュバックする。
暇すぎたので去年も来たこのタイマッサージ屋さんで全身オイルマッサージをしてもらった。350Bだった。若いお姉ちゃんが良かったが、おばさんがマッサージしてくれた。内心若いお姉ちゃんを期待していた。
世界のパリピ が集まるカオサンロードの喧騒の中で、1人マクドナルドに入り食事をした。1人のタイはつまらない。
僕が旅の世界へと誘われたあの時から、もう1年経ったのかと、僕は感傷に浸り、人を掻き分けながら、ポツリポツリと宿に帰った。心なしか部屋が狭い。
Day5 沈みゆく心
ソカアンコールリゾートの朝食はカンボジア感の薄過ぎるビュッフェスタイル。金持ち気分、
今日は何故だかレッドカーペットが敷いてある
記者団も多い。スタッフに聞くと、どうやらスリランカの大統領がお越しになっているようだ。
1ヶ月ペースで髪を切る僕だが、今回の旅行で髪を切ると決めていた。日本人達の溜まり場にもなっているゲストハウスで会った美容師の鈴木さんは6年間シェムリアップで美容師をしているらしい。切ってもらうことにした。人生初のパーマもかけてみた。
彼女にじっと見られながら髪を切られるのはなかなか緊張する。
ラオスのビアラオTシャツを添えて
結果めっちゃいい感じになった。それでいて鈴木さんの人柄も良い!アンコールワットを観光する機会があればシェムリアップのHairSalonAにぜひ行ってみて欲しい。ローカルなお話もたくさん聞ける。彼女はいい虫刺されの薬を聞いたそうで満足そうだった。翌日には部屋の中が虫刺されの薬でハッカ臭すごかった。
そして今夜は僕が愛するシティプレミアムゲストハウスの5周年パーティーだ。豚の丸焼きとカレーが無料で食える!
ソカアンコールリゾートなんかに泊まっててたまるか!とまでは思わないがパーティーに参加した。旅行客だけでなく、在住の皆さんやアンコールタイガーFCというサッカーチームに所属する日本人、たくさんの日本人が集まった。しかし、何故か僕の前にはカンボジアの銀行マン3人組がやってきて営業をはじめた。カンボジアでお金を預ければ、年利が9%ついてお得らしい。よくわからないし怖いので手を出すつもりはないが、大学生って言ってんのになんで営業はじめるかな。まぁでも付き添い的なカンボジア人のお姉さん可愛かったし、面白い話もたくさん聞けた。カンボジアのミドルクラスの労働月給は4万円らしい。日本人よりも圧倒的にお金がないが、皆楽しそうだし幸せそうだからok!という結論に落ち着いた。
他にももっと為になる話がたくさん聞けたため、実りある時間になった。机上の空論はやはり脆弱だったりする。真実は触れてみないとわからない。
明日カンボジアを去らないといけない。カンボジアに時間かけすぎかなとも最初は思ったが、本当に離れたくない。僕の心は知らぬ間にカンボジアのシェムリアップに沈んでいた。シティプレミアムゲストハウスと言うべきか。
Day4 たまには贅沢したい日もある
今日はいいホテルに泊まりたいと思い、シェムリアップの5つ星ホテル、ソカアンコールリゾートを彼女に内緒で予約しておいた。シェムリアップNo.1とも言われる高級ホテルだ。
ロビーとウェルカムドリンク
日本だと3,4万円クラスのホテルだろうか。学生でも贅沢できるのが海外のいいところだ。いうていい値段するけど、、、
最早ここはカンボジアなのだろうか。謎である。このホテルの社長は日本人らしい。日本人すごい。
お買い物にいった。マンゴスチンというフルーツが美味しいと彼女がいうので買った。
緑色のフルーツがマンゴスチン
シェムリアップの市場は迷路のように入り組んでいる。独特な異臭もする。
帰り道のノリでヘナタトゥーをいれたが、もうちょっと考えればよかったかもしれない。4ドルだ。アンコールビールのtシャツも買った。2ドルまで交渉することもできそうだったが、可哀想だったので3ドルで購入した。カンボジア人達の生活は1ドルも大きい。
余談だがカンボジアではアメリカドルが流通している。カンボジアの通過であるリエルとドルがカンボジアで使える。ドルが流通している国はそこまで多くないようだ。日本人が行くような国ではないが、パナマ,エルサルバドル,東ティモール,ジンバブエ等でもドルが流通しているらしい。カンボジアではドルで払うとお釣りがリエルで帰ってくる。
ゲストハウスで会ったカンボジアに長年住んでいる方のインスタグラムを見てローカルなお店で夜ご飯を食べた。
見た目は普通だが、これが激うまだった。味付けがちょうどよく、素材の味を誤魔化していない。間違いなくカンボジアに来てからNo.1の味だった。
余計にカンボジアから去りたくなくなった。観光なんてどうでもいいから毎年カンボジアで現実逃避したい。ゲストハウスにもそんな大人達がたくさんいた。ゆったりと安心して現実逃避できる治安の良い国。それがカンボジアだ。
正直ブログ書くのがだるい日もあるし、そんなにやることもないのでネタがまずない。期待せず、サラッと読んで頂ければ幸いだ。
Day3 ベンメリア遺跡
昨夜彼女と合流したが、予定があるらしく暇になってしまった。ゲストハウスにいた建築士の方が世界遺産のベンメリア遺跡に行くというのでついていくことにした。
ゲストハウスからトゥクトゥクに乗って行ったのだが、片道2時間の往復4時間をトゥクトゥクに乗るのはかなりきつかった。田舎道は風が強く、砂と風を正面から受け、身体中が砂だらけになる。道路が舗装されていないため、道も険しく、行くだけで体力が終わった。
結果こうなった
ベンメリア遺跡自体はラピュタのモデルになった場所であり、神聖な雰囲気が流れていた。しかし、いかんせん疲れていたので、楽しむ余裕はそれほどなかった。
僕は写真を撮ってもらおうとすることが珍しい。レア写
また砂と風を浴びながら帰るかと思うと憂鬱でもあった。帰って速攻寝た。31歳建築士も疲れが滲み出ていた。
夜は彼と焼肉鍋を食べた。社会人の大人と話すのはやっぱり楽しい。彼の仕事や僕の将来について様々なことを話した。東京で働いている彼は今、僕の地元である豊橋の再開発を担当しているらしく、豊橋についても語った。しかも奢ってくれた。ありがとうございます。
あとはボーっとしていただけだ。カンボジアの居心地が良すぎて、もう移動するのが面倒くさくなってきた。涼しいし治安いいし。
Day2 アンコール遺跡
カンボジアに来てアンコールワットに行かないという選択肢はない。そもそもアンコールワットとは、ユネスコ世界文化遺産に登録されているアンコール遺跡の中の一角を担っている一部である。またカンボジア国旗に書かれているのもアンコールワット 。というちょっとした紹介であるが、とにかくアンコールワット行かないとカンボジア来てないのと一緒って話だ。
昨日ゲストハウスで会ったタカ君とアンコール遺跡小回りツアーに参加した。小回りツアーとはアンコール遺跡の代表的寺院、アンコールワット,アンコールトム,タプロームを周る代表的ツアーだ。
まずアンコールワット
よく写真でみる遺跡。デカイ。正直一度は見とおいても良いんじゃない?という感想だった。個人差は大きいかも。他の遺跡はかなり崩壊していて目立った形もしていないので、カンボジア国旗に採用するにはアンコールワットしかなかったのだろうという僕の考察だ。
アンコールトム
この遺跡の中心の塔の暗闇には仏像が蝋燭に照らされながら座っていた。日本の密教文化的なものを感じ、1番の感動をした。暗闇に入った瞬間、何かのパワーを感じるような、ここは何か違うと五感に訴えかけるような。言葉では表しようがない。カンボジアに来たならば是非この小さな仏像に圧倒される感覚を体感してほしい。恐らく、密教的な穏やかで内に秘めたような仏教が好きな日本人だからこそ体感できる何かがある。日本人が東南アジアの代表的寺院に訪れて感動できないのは、仏教の気質の違いがあるのではないか。壮大な仏教は日本人に合わない。
タプローム遺跡
崩壊した遺跡というものは厨二病をくすぐる。少年の心をかきたてた。
昼飯にまたチャーハンを食べた
今日はこれ以上何もしていない。僕は観光がしたいのではなくて、地域の雰囲気を感じながらダラダラと生きていたいだけなんだと気づいた。何のために旅行しているのか。僕もわからない。
ゲストハウスの軒先でぼーっとしながら猫と遊び、タバコを吸いながら大人達やスタッフさんと語り合う。これが1番幸せだ。
余談だがカンボジア人やタイ人は日本人を見るとAJINOMOTOと言うことが多い。味の素がアジア各国に進出し、成功しているとの話は聞いていたが、実物を今までみたことがなかった。
しかし今日ついに発見した。味の素。すごい。