2019夏の終わりに
この旅行は僕にとって考える旅だった
楽しいこともあったが、楽しい旅ではなかった
考えることが常にあって、この先どうしようか、今の自分はどうか、足りないことは何か。考えれば考えるほど自分に嫌気がさしたりしたし、もっとこうなりたいとか、こうしたいとか考えることも多かった。結局僕はまだ未熟なクソガキなんだって思った。でもその分、まだまだ埋める穴が沢山あって、それを埋めたいとも思うようにもなった。トレッキングを一緒にしたYさんにまだまだ若いんだからと背中を押された。彼女の言葉は本当に説得力があった。まだまだなんとでもできる気がした。
自己嫌悪が強い人は自分にも人にも厳しく、人に対して当たることが多い。これが彼女と別れた大きな理由だと思う。逆に自己嫌悪が強いということは、向上心が高いとも言える。いや言えないかもしれないが、そうしとこう。いつになったら自分を認め、他人も認める寛容な心が手に入るのかは疑問だが、これを機に何かが変わったらよいと思うし、変える努力をしたいと思う。他人を認めるには、まず自分から。一方で思うのは、僕が尊敬する向上心が高く、優秀な社会人達は常に世の中に疑問を持ち続けているが、幸せそうではない。なんか矛盾している。彼らのようになりたいようでなりたくない。理想に近づけば近づくほど、不幸せになっていく感覚だ。
たくさんのいい出会いがあった。日本の頂点と言えるようなエリートもいたし、自分で選択し、自由に生きている人もいた。何にせよ、大きな活力に溢れていた。それぞれにそれぞれの生き方があった。彼らとの出会いは僕の人生で大なり小なり歯車となっていくだろう。僕という動力が稼働し、それぞれの歯車が噛み合いさえすれば。
すこし趣旨が変わるが、ネパールの田舎でホームステイし、1日中ネパール人と生活することで、本当の文化的多様性を確認することができた。例えばネパール人達は皆んなで分け合う文化を持っている。誰かのものはその人だけのものではなく、必要ならばシェアする文化だ。それ故に僕の水を勝手に飲まれたり、充電器を勝手に使われたりした。これは友達ならば当然のことなので、彼らが感謝の言葉を口にすることは絶対にない。一方で分け合う文化にはいい面も多い。ネパールはインドよりも貧しい国だが、乞食の数はそれほど多くない。いたとしてもインド人だ。分け合う文化が社会主義的な資本主義を形成し、幸福を分け与えることに成功している。まさに、物事には裏表があるということだ。しかしながら、僕はネパール人達の文化で生きていくことが辛くなってしまったため、帰国を早めた。これは価値観の違いというやつだ。世界で起こっている国際問題は価値観の違いから生じていることが多い。別にどちらの国も悪いわけじゃない。それぞれの価値観の落とし所を見つけ妥協案を提示することが解決ということなんだろう。ホテルに泊まり、観光しているだけでは見えないことが多かった。軽い気持ちでやってみたホームステイは、予想以上に辛く、学ぶことが多かった。
3回目となる今回の長期旅行から日本に帰ってきて、これまでの旅行で日本に帰ってきた時の感覚とは大きく異なるものがあった。帰ってきた感覚がない。海外にも自分で居場所を作ることができるようになったのかよくわからないが、この感覚は謎であり、少し達成感がある。
最後になるが、この旅行は色々な面できっとターニングポイントになる。彼女とは別れてしまったが、彼女との別れから、反省することも多く、彼女に迷惑をかけてしまったことを申し訳なく思っている。もしこのブログを読んでいるのならば、間接的にありがとうと言いたい。ありがとう。
いろいろな出会いと経験で僕の世界は間違いなく広がった。このブログの記事はしばらくしたら削除させていただく。書くのが面倒くさいと思うこともあったが、ブログを書くことで思考が整理され、学びが深まった。このブログを読んでくださった皆様に感謝を込めて。ありがとうございました。
Day20 最後の日
朝4時。ボランティア集団が爆音で音楽を流し、飲み会的なものをしていて起こされた。「最後の日!楽しもーぜ!!」とか言いながら手拍子を繰り返していた。これがしばらく続き、殺意が湧いたので、学生団体を特定し、動画まで撮っておいたが、ここでやめておく。世の中のために尽くすのはいいが、最低限のモラルは守ってほしいところだ。他の宿泊者達も皆彼らに腹が立っているようだった。
今更だがこの宿は朝食が無料
朝食を食べた後、昨日会った先輩方2人と談笑した
やはりこの2人は本当に面白い
遺跡に行くらしいので、ついていった。カトマンズには何日間かいるが、カトマンズで観光したのは初めてだ。
2015年の地震でボロボロだった。日本のJICAや中国の中国援助が支援し、再建設が進んでいる。
今日の15時のフライトで日本に帰らなければならないため、12時にホテルをでた。
先輩方が見送ってくれた。東京でまた会う約束をした。いい出会いだった。
カトマンズ空港で搭乗開始を待機していると、僕のバックパックにトルコのバス会社METRO社のシールが貼ってあるのを見て、トルコ人2人組が話しかけてきた。トルコは僕が最も旅行で感動した国だ。彼らも長期間旅行をし、最終的には日本までやってくるらしい。「トルコには彼女と言ったんだけど、昨日別れた( ; ; )oh No...」と自虐ネタを言ったら爆笑してた。日本に来たら観光ガイドをすると約束した。
飛行機に乗り込むと隣の席が日本人だった。彼は大学1年生で孤児院を巡っていたらしい。というのは建前で実際は酒タバコクラブ風俗。これが本当の目的だと言っていた。1年生でこの仕上がりはなかなかない。僕はクズが大好きなので、彼の将来がとても楽しみだ。
バンコクで乗り継ぎ。このドンムアン空港を訪れるのは何回めだろうか。ドンムアン空港Wi-Fi難民はスターバックスの前に集う。
日本に帰ってきた。ただいま日本。「旅行」をしていたかは定かではないが、考えることが多い旅だった。そのための猶予期間だった気がする。
Day19 思考の日
まず第一に彼女と別れた。これについてはあまり言及しない。ネパール人達が励ましてくれた笑笑
それもあったし、観光には飽きたのでずっと宿でボーっとしていた。考えていた。宿のロビーで未来世紀ジパングのインド特集を見ていると、東大生のTさんに会った。来年から某商社で働くらしいが、彼とはかなり気が合い、意気投合していろいろなことを話した。思考の仕方が同じで、彼も僕とほぼ同じような状況で恋愛に悩んでいた。また東京で会おうと約束した。そのうちに、10日前にネパールで居酒屋を開業した男性がやってきた。聞いてみると彼は僕と同じ大学出身で某証券会社を脱サラしてネパールへやってきた。正直同じ大学にこんなエリートいるとは思わなかったので、感動した。3人でいろいろなことを話した。影響を受けまくった。
夜はダルバート。写真撮り忘れた。毎日ダルバートばかり食べているが、ここのダルバートがNo.1
宿に帰るとTさんが誰かと話している。話してみると受験業界では神聖視される福沢諭吉大学経済学部の超絶エリートだった。彼をKKさんとしよう。大学受験に蝕まれた人間としては、経済学部というところがポイントだ。彼もまた相当な変わりもので話してて面白すぎた。少しだけクズの臭いを感じるのがまたアクセントになってて、僕好みの人間だった。
こうやって話していると、自分の世界が一気に広がった感覚があり、彼女を失ったことへのダメージがあまりないことに気づいた。むしろ未来に希望を感じた。今日という日がターニングポイントになる。そんな気がする。
Day18 トレッキングと日本紙幣
ネパールで山を見るためには10月くらいが最適だ。今の季節は雨季のため、雲が多くほとんど見ることができない。内心諦めていた。しかしながらずっと見られなかったヒマラヤ山脈を今日は見ることができた。ヒマラヤ見ずしてネパールに来た意味は正直ないかもしれない。写真では伝わらないほどの絶景。遠くに臨む7000m8000mの山々から顔を出す朝日は素晴らしかった。
富士山の2倍以上高さがあるってすごいよね
トレッキング再開。今日は2時間だけ。天気が良くて山々が良く見える!しかし、ここから見える山は標高6000m級。日本にこれより高い山は存在しないが、ネパールでは6000m級の山に名前はない。ただの丘。
子供達。お小遣いあげた
お寺
フィニッシュ!とても楽しいトレッキングだった!4人で歩けてよかった!
車で帰る途中でバクタプルという古都に寄った。カトマンズより前に中心として栄えた
そして今回ネパールに来た大きな目的として、日本紙幣の原料をネパール中から集め、出荷している会社を訪ねることをあげていたが、今日訪れることができた!既に2ヶ月前にメールを送り、アポイントはとっていたが、ガイドのロウさんにもう一度確認してもらい、大阪に本社がある「かんぽうネパール 」へ訪れた。暖かく迎えて頂き、とても良い経験をすることができた。
説明するのが面倒くさいので何度も貼り付けているこのURLを参考にしてもらうとわかりやすい。僕はこの記事を見つけ、ネパールに行くことを決めた。
https://r.nikkei.com/article/DGXMZO45008100Q9A520C1CR0000
奥に見える束が日本へ送られる
日本語ペラペラのシュレスタさん
ここで選別作業をして、日本に木のままで送る。一部はネパールでも紙として使われる。
よく見るとミツマタの木は非常に繊維が細かい。この繊維の細かさが日本紙幣の破れにくさを生んでいる。日本の紙幣は洗濯機で回しても破れない。ちなみにネパールの紙幣は洗濯機で回したら破れるとのこと。
お土産にミツマタのかけらと紙をもらった。
昼ごはんにもダルバートを食べたが、写真を撮り忘れた。
夜は宿のネパール人達と人生について語り合った
励まされた。元気が出た。
ロウさんの友達の誕生日会にも行った。ここでかなり飲酒をし、ダンスをし、宿のオーナーラジュさんと肩を組みながら深夜のカトマンズを徘徊。特に何もなく、宿に帰って寝た。朝起きたら頭が痛かった。
酔っ払うミスターラジュと僕
Day17 トレッキング2日目
山の空気と共にチャイを飲む。これほど美味いチャイはない。正確にはチャイはヒンディー語であり、ネパール語ではチャアである。
朝ごはんのパンケーキ。日本のようなパンケーキではないが、美味しい。右上にあるのは自家製の蜂蜜。非常に濃厚。ギリシャで食べた蜂蜜が1番美味しかったが、それとは少し違う美味しさがあり同率に並ぶものだった。
ホテル
朝8時に朝もやの中を出発。今日も歩き続ける
梨。そのままかぶりついた。美味。
ペーパーストーン。ミルフィーユのように層になっている。
お昼ご飯。恒例のダルバート。
ここでジャンマラクルサーニという唐辛子を食べさせられ瀕死になる。ジャン=体、マラ=殺す、クルサーニ=唐辛子である。僕は日本人の中でも辛いものが得意なほうではあるが、かなりキツかった。5ミリサイズかじっただけで、喉が焼けるように痛く、目の下の汗と涙が噴き出した。
心配したおばちゃんが水牛のバターをくれたら少しましになった。ネパールにもお母さんができた。
さらに進む
合計8時間ほど歩き、ナガルコットに到着した
今日のホテルはめっちゃキレイ
写真は撮り忘れた
夜ご飯に水牛のステーキを食べた。なんかよくわからんけど宗教上の理由?でネパールのステーキは水牛とかガネーシャさんが言ってた
普通に疲れたので寝た。あとブログ書くのも疲れた。
Day16 トレッキング1日目
朝から下痢と腹痛がひどく、トイレに10回くらい行ったが、今日から2泊3日のトレッキングに行く。ネパールに来て山を見ずに終わるのは少々もったいないという考えと、単純に暇だった。ネパールにはたくさんの寺院があるが、色々な国で寺院を見て正直飽きた。もう寺はいらない。
昨日泊まっている日本人宿で英語ガイドと日本語ガイドで迷い、少し安いほうの英語ガイドを頼んだのだが、なぜか日本語ガイドになっていた。この宿は相当適当である。同じツアーに申し込んだ日本人の方がいたので、ガイド2人含む4人で山に向かった。
スタート地点
一緒にトレッキングをしたYさんはカナダ在住の日本人。カナダ人の旦那と世界中を旅した後に、1人で旅行しているらしい。インドに2ヶ月も沈没した後にネパールへやってきた。彼女とはたくさんの話をしたが、彼女の生き方に大きな影響を受けた。僕が見ていた世界は狭かったのだと痛感した。「若いんだからなんでもできる」という説得力のある彼女の言葉に背中を押された気がした。みなぎるパワーを感じる女性だった。かっこいい。
ガイドのロウさんとガネーシャさん
僕のガイドであるガネーシャさんはエベレストを含むネパール中の山に何千回と登ってきた山のスペシャリスト。山に登りながらたくさんのことを教えてくれた。正直ここには書けないようなネパール登山界のブラックトークが非常に面白い。
ロウさんは4月に日本から帰国したばかり。お茶目
この時期は雨季のため、道がぬかるんでいる。雨が降りそうだったが、なんとか持ち堪えた。
クワガタ
正直長い時間歩いているだけなので、特筆することはない。4人でおしゃべりしながら楽しく歩き続けた。山道は急で息も切れたが、ネパールに来てから1番楽しい。富士山に登りたいなとも思うようになった。
マリファナめっちゃある
ヤギ
5,6時間歩いたのか?わからないが、チサパニという場所が本日の宿。首都のカトマンズでもそうだが、チサパニの宿は数年前の地震で崩れ去ってしまった宿も多い。
ピサの斜塔並み、それ以上に傾いている
景色は非常に良い
そこまでしっかりとした宿でもなかったが、ホットシャワーがでるというだけで、僕にとっては天国だった。何日ぶりのホットシャワーだろうか。
トレッキング中の民家ではいたるところでお酒が作られている。宿で作られた鹿肉と共に地酒を飲んだ。日本酒みたいな味がする。
夜ご飯は定番のダルバート。ネパール人はほぼ毎日ダルバートを食べるどころか、昼ダルバートで夜もダルバートだ。僕もネパールを離れると、このダルバートが恋しくなるだろう。日本で見るインド料理屋はほとんどネパール人の経営だが、ダルバートも食べられるのだろうか。
ほとんどホテルに客はいなかったが、目がいっちゃってるネパール人達がいた。ネパールでもマリファナは違法だが、彼らは山まで来てマリファナやその他の薬物を吸い、帰っていくらしい。睨まれたし怖かった。
ガネーシャさんのエベレストトークに花を咲かせ、楽しいディナーだった。お酒も飲んだし疲れていたので一瞬で寝た。
Day15 カトマンズ
バスが停車しチャイを飲んだ
朝のチャイは美味い
さらにバスは進み8時過ぎにはカトマンズへ到着した。案外早かった。タマンさんとはここでお別れ。
カトマンズの街は首都の割には栄えていない。ネパールはまだまだこれからの国だと感じた。
エクスペディアで予約しておいた日本人宿に向かったが、手違いで部屋が満室らしく、別の宿を紹介された。部屋でWi-Fiが使えず、絶賛落胆中である。
日本人宿 トラベラーズハウス
おしゃカフェで朝ごはん
正直疲れたからホテルのフロントでグータラしてた
日本食レストランでカツ丼 400円
僕は今日何をしていたのだろう
あまり覚えていない
ホテルのフロントでワンピースを読んでたのは覚えている
日本に帰りたくなって24日に日本に帰ることにしたのだが、それまで暇だ。かといって本当は動きたくない。もう疲れた。しかしせっかくネパールに来たのだからと思い、明日から2泊3日のトレッキングツアーに参加することにした。寂しくて日本に帰りたいのでそれを紛らすためでもある。僕は旅行が好きなのだと思い込んでいたが、実はそうでもないのかもしれない。1人はやっぱり寂しいしヤル気が起きない。かといって誰でもいいわけでもなくて、落ち着く人が必要なんだろう。
夜ご飯はネパールの家庭料理的なものを欧米人の多いレストランで食べたのだがあまり美味しくなかったというか、ネパールの家庭料理感が薄かった。
外国人向けの味付けだろうか
明日からまたブログの更新が滞るかもしれない