Day14 カトマンズへ大移動
11時にバスへ乗り込み、12時にカトマンズへ出発するした。明日の朝10時に着くと言われたので、計22時間バスに揺られることになる。
バスに乗って少ししたところでおばちゃんが2人乗ってきて、鶏を僕らの足元へ置いた。カトマンズまで持っていくらしい。僕と鶏の長旅が始まった。あのおばちゃん達正気ではない。ネパールの中でも普通ではない行為らしい。
愛用の990と鶏
添乗員のお兄さんは言葉が話せない人だった。それにもかかわらず、皆んなとコミュニケーションをとり、お客さん達を笑わせ、よく働き、ムードメーカーになっていた。何より笑顔が素敵だ。水を配ってくれた時Thankyouと言いながら微笑むとニコッと微笑んでくれた。なんだかいい気持ちだった。僕も頑張ろう。
時々停車しながらバスは進んでいく。ずっと寝ていたので案外キツくはなかった。持ってきたタブレットでD・カーネギーの「人を動かす」という本を読んで自省した。心にくるものがあり、ボーッとしながら現在の自分と理想の自分を照らし合わせた。僕には足りないものが多すぎる。自分の器の小ささを再確認し、根本から自分を叩き上げたくなった。
夜ご飯でよくわからない場所に停車した。インド人が多かったのできっとインド寄りのネパールなんだろう。美味しかった。しかし、何も言っていないのに勝手にご飯を追加するのはやめてほしい。1食300円でネパールにしては割高のツーリストプライスだった。
また寝た。
Day13 イラム
ネパール人の朝は早い、彼らは22時には寝て6時には起きている。くそ早い。夜はシャワーを浴びず、朝に浴びるのが一般的なようだ。
数日間洗濯していなかったので共同シャワールームで洗濯する僕。結果的に湿気が多すぎて乾かなかった。
タマンさんの姪っ子が紅茶をいれてくれた。めっちゃ砂糖入っててかなり甘いが、これが普通らしい。
姪っ子さんとその友達にカップラーメンあげたら作り方がわからなかったらしく、鍋にそのままつっこんでいた
今回ネパールに来た目的として、首都のカトマンズで日本紙幣の元となるミツマタの木加工出荷している会社を訪ねることを一つの目的としているが、タマンさんがその木をイラムで見ることができると言うので、向かうことにした。
ジープ乗り場の近くでネパール版焼きそばのようなものを食べた
この地域から見ることができ、世界第3位の標高を誇るカンチャンジュンガを名乗る水
爆音で音楽が流れるジープに乗り1時間半グロッキーになりながら着いた村
ネパールではこの木をロクタと言う
村の人が歓迎してくれた。薬膳茶とキュウリ
製造工程を教えてくれる
記念に日本紙幣を1枚進呈した。彼らは日本紙幣を見たことがなかった。
かなり良い経験だったが、グロッキーになりながらタマンさんの家に帰り、しっかり調べるとロクタとミツマタは明確には違うものらしい。非常に似ているようだが、今日訪ねた農家が生産したロクタはおそらく日本紙幣になることはない。内心怪しんでいたのでタマンさんに本当にこれが日本紙幣になるのかと何回も確認したのだが、タマンさんは間違いないと言っていた。そこまで言うならと納得し、グロッキーになりながら農家の皆様と感動の交流を果たしたのに、あれはなんだったのか。
日本帰りたいポイントが1上昇した。
タマンさんの家に着くと音楽が爆音で流れていた。今日は姪っ子のシャンティの誕生日らしい。とてもおめでたいことだが、疲労困憊しストレスが溜まった僕には当初とてもお祝いする気力は残っていなかった。ジープでも爆音なのに部屋でも爆音って相当辛い。
しばらくすると子供達や近所の人がやってきて誕生日会がはじまった。部屋で死にかけている僕を1人の若者が連れ出してくれた。参加してみると子供達に囲まれ、遊んだり、ユウリコールをされながらダンスしたりしてなんやかんやめっちゃ楽しかった。
子供達とサーガルマタ(エベレストのことを指す)ポーズをして盛り上がった。大人達も僕らを見て爆笑してた。この旅1番の笑顔だったと思う。日本帰りたいポイントが2下がった。
おやつ
夜ご飯
帰りに男の子がお手紙?みたいなものをくれた
疲れた。ネパールスタイルでシャワー浴びずに寝た。
そういえば誕生日会が始まる前、タマンさんに明日首都のカトマンズへ向かうバスのチケットをとってきてもらった。夜行バスか昼間バスどちらがいいか聞かれて、迷うことなく夜行バスをとってきてもらったが、夜行バスは23時間もかかると後からわかった。昼間バスなら12時間ほどらしい。なんでそれを先に言わない、、、23時間って最早夜行バスじゃないだろ、、、日本帰りたいポイントが1上がった。
ついでに僕の生命線のミネラルウォーターを勝手に全部飲まれた。飲むものがなくなった。日本帰りたいポイントがさらに1上がった。煮沸した水をペットボトルにいれたものがあり、寝る前にこれ飲む?といわれたがきつかった。
Day12 ネパール入国
シリグリで朝ごはんを食べた。
今まで食べたカレーはどれも美味しかったが、はじめてハズレを引いた。美味しくなかった。たしか30円くらい。
ネパールに入国するため、シリグリの郊外にあるイミグレーションへ向かう。ジープの発車を待っていると何人もの物乞いが寄ってきた。可哀想だが、一人一人にあげているときりがない。
まずはインド側のイミグレーション。くそボロい。全然人いない。ロシア人いた。荷物検査の軍人にパインアメあげようとしたらいらんて言われた。
インドとネパールの国境の橋。どこが国境かわからない。普通わかるだろ!
ネパール側のイミグレーション。警備員みたいなおっちゃんが対応してくれた。適当。15日ビザで30ドル。
晴れてネパールに入国したので、ここからイラムというお茶の名産地に向かう。今回お世話してくれているタマンさんの出身地だ。
さらに3時間くらいかけて向かうと、雲に覆われたイラムの街に到着した。空気がとても美味しい。文章で書くと一瞬だが、恐ろしいほど長いし、山道険し過ぎてグロッキーだった。
タマンさん行きつけのお店で食べたチベット系ネパール料理のトゥクパ。この旅1番の美味。激美味い。鶏ガラベースのスープ。ネパールでは金曜日は学校が半日授業のため、中学生の兄弟がつくってくれた。
モモ。餃子みたいなやつ。これも美味い!
ネパール料理は口に合う。
タマンさんの家に着くと、夜は9月から大学に入学するタマンさんの姪っ子とお友達がご飯を作ってくれた。やっぱりネパール料理は美味い。
しかし問題なのは味付けが全て濃い。愛知県民の僕にとって、塩味への耐性は強いつもりだったが、ちょっと濃かった。聞いてみるとやはりネパール人は糖尿病で悩む人が多いらしい。
タマンさんのお家にはホットシャワーがないため、家の外にあるシャワーで冷水を浴びた。そしてネパールのトイレは基本的に共同トイレで手動である。トイレットペーパーという概念はない。あまり細かくは言いたくないが、手動とはどういうことかと言うと、和式トイレの横にバケツがあり、その中に入っている水を使ってオケツを洗い、排泄物を流す。正直結構きつかった。気を許せない相手と同じ部屋で暮らすということに精神的ストレスを感じていたことと相まって日本帰りたい病を発症した。そもそも彼の家でホームステイをするつもりだったのだが、彼は2ヶ月ほど前から首都のカトマンズで働いているらしく、ここには住んでいないらしい。ホームステイではなくなってしまった。
Day12 無題
本日のブログは精神的にきてるのでお休みします。
気を許せない人とずっと一緒にいるのはかなりキツイです。もう日本帰りたいってより1人になりたい。どこにいても気が休まらない。
Day11 ダージリン
ダージリンと言えば紅茶を思い浮かべる人が多い。標高2000mを超えるダージリンでは良質な茶葉が生産され、世界中に輸出される。
ダージリンの見所としてもう一つあるのが、世界遺産であるトイトレインだ。ダージリンからシリグリまでを結ぶこの列車はダージリンから茶葉などの荷物を運搬するために使用されてきた。季節が合えば、標高8000mを誇るヒマラヤの山々を望みながら、列車の旅を楽しむことができるが、現在は霧がかかっていてオフシーズンだ。あと観光用の蒸気機関車は値段が高い。時間もなかったし乗るのはやめた。
かつてこの場所はネパールだったため、インドというよりかはネパールの色が強い。インドがイギリスの植民地になった際にダージリンもイギリス領にされた。終戦後もインドになってしまったというわけだ。確かにイギリスの匂いも感じる。
数日間お世話になるタマンさんと近くのお寺に向かった。このお寺は仏教とヒンドゥー教の寺院が融合されている。今日はインドの独立記念日のため、なんかよくわからないお祭りが開催されていた。、
朝ごはんのロティとカレー。ひよこ豆みたいなのが入っていて美味しかった。
ネパールでポピュラーなタバコ。100円ちょっと
ダージリンヒマラヤ鉄道
有名な広場
おっちゃんの結婚指輪かっこいい
ブータンに密入国してみようという案もあったが、タマンさんの生まれ故郷であるネパールのイラムに行くことにした。まずはダージリンから山を下り、シリグリに行かなければならない。途中にあるミリックという場所が観光地らしく、行ったほうがいいらしいのでとりあえずミリックに行くことにしてジープに乗り込んだ。
しかしながら渋滞に捕まる。今日は独立記念日のためインド中でイベントが開催されているようだ。ミリックまでの道中の街では道路が封鎖されて子供達がパレードをしていた。そのせいで2時間以上立ち往生。
立ち往生したせいでよくわからん店きた
普通のインスタントラーメン
パレード
なんで他にルートもないのに車が通るところでパレードするのか意味不明だった。ジープにまた乗り込むも、既に人でいっぱいなのに、人を乗せようとして大渋滞の中をジープが逆走。ジープの運転手が警察にガチギレされたため、別のジープを探す。結局1時間くらいまた消費してミリック行きのジープに乗り込んでミリックに到着した。
ミリックには湖があり、インド人達の観光地らしい。実際には汚くて小さな湖があるだけだった。正直来る価値がない。
鯉にエサを与えすぎてエサが浮かんでる
ミリックからさらにシリグリへ、1時間30分くらいだろうか。とりあえず着いた。もう日が暮れていたが、ホテルを探す。なんとかホテルを見つけ、夜ご飯を食べようとしたが、全然見つからず、結局ホテルのレストランに行ったら500ルピーくらいした。インドにしては鬼高い。
疲れた
Day10 移動日
朝一番で、朝ごはんを食べようと1人でカレー屋に行ったら、向かい側のインド人と仲良くなって連絡先を交換した。カレー奢ってくれたラッキー。
今日でコルカタを離れるのはなんだか寂しい。混沌としたこの街の雰囲気も愛着が湧いてきた。今回泊まった日本人宿サンタナのスタッフの皆さんに別れを告げ、タクシーで空港に向かった。
明日は独立記念日のため、空港の警備が強化されている。独立記念日にはテロが起こりやすい。空港に入るにも身分検査が必要だ。
検問
エアインディアの機内食不味い
キュウリだけサンドイッチ
バグドグラ空港に着陸し、さらに移動。空港を出てシリグリまで行きたいと伝えると800ルピーだと言う。タクシーの運転手がたくさん集まってきたのでオークション形式にすることにした。僕が600ルピーの人!と言うと1人が手を挙げ、さらに下の値段の運転手が名乗り出る。魚市場で競りを取り仕切ってる気分で楽しかった。最終的に400ルピーになった。
シリグリからさらに3時間ジープでダージリンまで移動する。ダージリンはネパールやブータン等に挟まれており、チベット系の移民が多いため顔が日本人っぽい人が多い。15人がギュウギュウになったジープの中で隣に座ったダージリンの女の子はその中でもかなり日本人顔で可愛かった。正直緊張した。彼女は22歳で大学生。動物学を専攻としているらしい。水とポテトチップスまで奢ってくれたし少々テンションが上がるジープだった。
ダージリンへ着いたのだが、位置情報が使えず、真っ暗な中ダージリンを彷徨った。最終的にキリスト教のシスター達に教えてもらった。
宿へ着くと今回数日間お世話になるネパール人のタマンさんが既に待っていた。彼は日本に留学していたため日本語がペラペラである。
正直ブログ書くのが今日はダルい。特に書くこともないのでここまで。とりあえず言いたいのは、ジープで隣だった女の子が可愛かったってこと。
Day9 マザーハウス
むくむくと起き上がり、待ち合わせていた女の子と合流した。朝7時にマザーハウスに到着すると無料の食事をとった。ヨーロッパ人ばかりだった。マザーハウスには今でもマザーテレサの亡骸が鎮座されている。時間があったので、一緒に来た彼女とおしゃべりしてみると、彼女(以下Sさんとする)は大学時代1年留学して、今年新卒で某一流化粧品メーカーで管理職をしているらしい。就職に対する見方が僕と似ていてとても面白かった。あと英語が堪能で姉御肌。正直マザーハウスのシスターが何を言ってるのかよくわからなかったので、Sさんがいて助かった。
しばらくするとお祈りの時間があった。その後マザーハウスが運営する施設への人員振り分けがある。障害者の施設や子供の施設、老人の施設等様々だ。僕と彼女は老人の施設に派遣されることになった。マザーハウスで長期ボランティアをしているヨーロッパ人達に連れられ、バスに乗り込んだ。
施設の門前にて
マザーハウスのボランティアはあくまでもボランティアであり、誰かに指図されて動くものではない。自分で仕事は見つけなければならない。女性と男性が分けられてしまい、一人だったのでリーダーっぽいエルサルバドル人に着いて行くとやることを教えてくれた。ベッドメイキングをしたり、掃除をしたり、洗濯したり、ご飯を食べさせてあげたりした。元々マザーハウスのボランティアに参加しようと思ったきっかけとして、全くボランタリーな人間ではない僕にも新しい道が見えるかもしれないという意図があった。結果的に言うと僕自身は何も変わらなかった。これからもボランティアをしようとは思わない。しかしながら、長い間コルカタに滞在し、毎日のようにボランティアを続けるヨーロッパ人や中国人を見て、それだけ長い間自分の時間を割いて人に尽くすことができるってすごいことだと感じた。本当に本心から人に尽くしたい人でないと続かないだろうとも感じた。一緒に来たSさんも同じ考えだったようだ。僕らにはボランティアは向かない。
マザーハウスで会った日本人で面白い人もいた。24歳の彼は勤めていた市役所をやめて世界一周を開始したのだが、コルカタに4ヶ月沈没しているらしい。もはや世界一周ではなく、ただのコルカタ滞在だった。
マザーハウスでボランティアを終え、Sさんが行きたいという謎のミュージアムに向かった。しかし待ち合わせていたという韓国人がトラブったらしく、サダルストリートという繁華街の屋台にインド人が群がっていたのでカレーを食べた。
人気店だけあって、かなり美味い
Sさんが隣のインド人に話しかけて仲良くなっていた。強い人だ。君の食べているカレーもちょっとくれない?とかインド人に言ってた。隣にいたインド人が通っているという近くの美術大学を見学した。僕は疲れたので1人で宿に帰ったが、結局Sさんは別の店で会ったインド人と意気投合したらしく、22時過ぎに宿に帰ってきた。強い女だった。
1人で宿に帰り休憩した僕は今日こそアジア最大の風俗街ソナガチを見学しようと意気込み、宿を出た。宿に泊まっている女性達にも私も行きたいけど、行けないからレポートよろしく!と背中を押されていた。水を買おうと商店に立ち寄り、ソナガチ行きたいんだけどやばいかな?みたいなことを言ったら。俺とこいつとお前で行ったら安全だから俺らに10000ルピー払えと言われた。多分17000円くらいだ。ソナガチでは買うことをダンスという。俺らと一緒に行ってダンスしようよみたいなこと言ってたので、流石にそれは厳しいと笑いながら話していたら、おっさんがやってきて俺はパキスタンから来たオサマビンラディンだ!とかほざき出した。oh!helloビンラディン!とか言いながら握手とハグしといたら周りのインド人一同爆笑だった。ビンラディンはソナガチ行ったら殺されるぞみたいなこと言ってた。(ちなみにビンラディンを買うことはできるか聞いてみたが、拒否られた)正直チキンなので怖くなって宿のセキュリティーのおっさんにも聞いてみると、1人で行くのはかなりデンジャーらしい。かつて3日間で9人もの娼婦を買った伝説の日本人がいたらしいが、チキンなのでやめた。ソナガチを見ることは永遠にないだろう。俺だって死にたくない。
ということで宿に戻り明日14日のダージリン行きの飛行機を予約した。本当は14日の夜にでて、15日の朝に着く電車にしようと思っていたが、15日はインドの独立記念日であるため、テロの可能性が高くなる。14日のうちに移動したかったため、飛行機を予約した。
何度も言っているが、海外で出会う日本人は本当に面白い人が多い。今日もヤバい系の2人がゲストハウスに泊まっていた。
まず大学4年生で休学中のA君。パリピ 系ではなく、かなり落ち着いた見た目の彼は今日バングラデシュから来たらしい。電車でコルカタまで来たかったが、犠牲祭のため混んでいたらしく、なんかよくわからんけど自力で来たらしい。バングラデシュ人は優しいらしく、ついて行ったら無賃で国境を越えられたとのこと。しかしながら問題なのはそこではなく、中国人に連れられ、1ヶ月前にノリでミャンマーで女性を買ったら、避妊具が破損した。その日を境にずっと股間がかゆいらしく、真剣に悩んでいた。
それに対抗する31歳日本人のBさん。5ヶ国語を操る言語オタクの彼はホーチミンで自営業をしているらしく、気功師らしい。よくわからんけど「気」が操れる。見た目からして怪しい臭いがプンプンする。大学時代はガチガチのバックパッカーで、いわゆるアフリカの中でも紛争地域であるマリや、危険地帯を旅してきたらしい。彼に言わせるとエジプトやモロッコ等の北アフリカはアフリカ初心者であり、アフリカではない。そしてコンゴ人女性をバチボコに買ったことがあるらしい。しかも避妊具なしで。俺は性病にならない自信があったから大丈夫だった。だから気持ちの問題だと言ってA君を慰めていた。いや意味不明やろ。あれがバックパッカーの成れの果てなのか。多分もっとやばい話あるけど、ネタが多すぎて彼にとって武勇伝でもなんでもないんだろう。終始真顔で普通にヤバい系だった。
そんな話を昨日カレーを一緒に食べた女性と4人でしていた。楽しい夜だ。日本人にもいろんな種類がいる。
そういえばインドに来てからずっと思っているのだが、インド人の英語はめちゃくちゃ聞き取りづらい。訛りが凄い。恐ろしいほどに。